前回は架空の本のお話でしたが、今回は実在するけど本当に読めない本のお話です。正確には本じゃないのですが。
1912年、イタリア・ローマ近郊で、ウィルフリッド・ヴォイニッチという古書収集家が古い羊皮紙に書かれた奇妙な書物を発見しました。これが今回の話の主役、「ヴォイニッチ手稿」です。
手稿というとヤン・ポトッキの『サラゴサ手稿』を思い出す私ですが(日本語訳の完全版はいつ出るんだ)、この手稿はそういったフィクションなのかどうかも分かりません。104枚が現存し、サイズは約15cm×約23cm、一番大きいページは約70cm×70cmもあるそうです。中身は膨大な文章と大量の挿絵が収められています。この文章は、自然言語か人工言語のように確かに意味を持つ文章列らしいのですが、今なお解読されていません。挿絵は、地球上に類似のものが存在しない想像の植物図や、星雲らしきもの、「ロゼッタ」と呼ばれる謎の幾何学模様、医学的な装置や多数の女性像などが描かれています。
手稿とあわせて見つかった書簡からは、1582年に神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世によって、13世紀イギリスの哲学者ロジャー・ベーコンの著作として購入されたことが分かりました。ルドルフ2世は教養ある文化人で、特に錬金術に大いに興味を示していました。ヴォイニッチ手稿はこのルドルフ2世から金をだまし取るために、ボヘミアの錬金術師エドワード・ケリーが作成したインチキだという説もあります。
そのほか、薬草学など自然科学に関する著作だ、キリスト教の異端カタリ派の教義を表したものだ、全くのでたらめだ、などなどこの書物の内容についてはさまざまな説があるようです。もし適当な、解読してもたいした意味のないものだったとしたら、書いた人はしてやったりと思っているでしょうか。「でたらめ」が何百年後かの未来で天下の奇書として議論されているなんて。ただこの「でたらめ」を作るには人文科学・自然科学の両面において相当の技量が必要だったことでしょう。
さて、このヴォイニッチ手稿は読めませんが「見る」ことはできます。現在、アメリカのイェール大学バイネッケ稀覯本図書館に保管されており、半分くらいのページがWebサイトでも公開されています。
これを解読したら、イグノーベル賞は確実にもらえそうですよね。
参考文献
ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル著 松田和也訳 『ヴォイニッチ写本の謎』青土社