犬の散歩と「ポケモンGO」
海外よりすこし遅れて、日本では先週7月22日に配信されたスマートフォンアプリ「ポケモンGO」が、世界的に流行していますね。
私は配信初日、営業で少し遠出していましたが、道行く若年層の歩きスマホ率が明らかに上がっているのを見て「すごい影響だな」と思う反面、「頼むから信号ちゃんと見て歩いてくれよ」、などと思いながら運転していました。
影響は街中だけでなく自分の住む町内にも出ているようです。両親に聞いた話ですが、土日に犬の散歩をしたときには、すれ違う犬はいつもと同じでも、リードを引く飼い主さんの顔ぶれの多くが普段とは違い、若い人になっていたそうです。リードと反対の手にはしっかりとスマホが。「ポケモン探すから今日は俺(私)がコイツと散歩に行く!」といった会話がきっとあったのでしょう。犬にとっては、これを機に散歩の回数や距離が増えるかもしれず、喜んでいるかもしれませんね。
私と我が家の犬はというと、アプリはインストールしてあるものの、私はこの暑い時期に犬の散歩をすると
「暑い......」
「早く帰ってシャワー浴びたい......」
などと、写真の犬以上にこんな感じの顔をしながら歩いてしまうので、散歩の時間も距離も普段と変わっていません。
編集AS
「爺バカ」Ⅱ
最近の陶芸作品の多くが孫用のものです。同じ教室の仲間からは「爺バカ作品」などと呼ばれていますが、喜ぶ顔を思うと何と言われても平気です。
カップやごはん茶碗はもちろん灯りとりまで名前入りです。本人にとってありがた迷惑であっても関係なく、どんどん増やし続けています。
陶芸仲間からは「女の子にたくさんの嫁入り道具を持たせるつもりか?」と言われますが、爺は嫁に行くことは許しません。故に嫁入り道具には絶対なりません。
編集:TK
私のサッカー手帳
私は2冊手帳を使っている。1冊は仕事用、もう1冊がサッカー用だ。
仕事用は、1週間が均等に時間単位で区切られた、いわゆる「バーチカルタイプ」で、サッカー用は「週間レフトタイプ」といわれるもので、見開きの左側が1週間の予定、右側がフリースペースになっているものを使っている。
サッカー用の手帳には、自分の息子たちの試合の予定だけでなく、所属するクラブチームの他学年の予定、試合結果も分かる範囲で書き入れている。今年は上の子がユースになったので、ジュニア・ジュニアユース・ユースと3つのカテゴリーの予定と結果、時には1日の試合観戦スケジュールも書いてある。
ある1日を紹介すると、
3:00 起床・シャワー
4:00 録画したサッカーの試合を編集
5:00 朝食・弁当づくり
5:30 朝食
6:00 小学校へ 荷物積み込み
6:30 試合会場へ移動
7:00 コートづくり
9:00 ジュニア試合観戦 第1試合
10:40 ジュニア試合観戦 第2試合
11:30 後片付け、移動
12:30 到着
13:00 ジュニアユース試合観戦・応援
14:30 試合終了、選手激励
14:50 図書館へ移動
15:30 新聞記事検索等
16:30 帰途につく
17:00 荷物を小学校の倉庫へ返却
17:30 仮眠
18:30 試合会場へ移動
19:20 ジュニアユース試合観戦・応援
20:30 試合終了、帰途につく
21:00 晩御飯
21:30 PCのメールチェック
22:00 コーチへレポート提出
22:30 原稿確認・作成
24:00 就寝
この日は、お兄ちゃんの試合がなかったので、試合会場は3カ所だったが、ユースの試合がある日は、試合会場が4カ所、5カ所になることもあるし、仕事で客先を訪問する日になると、5分だけ試合見て移動とか、10分だけ会場を訪れてお父さんたちと会話して移動とか、分刻みのスケジュールとなる日もある。
今週は、遠方の客先を訪問するし、ユースの試合があるので、どんなスケジュールになるのか、それをシミュレーションするのも、最近は楽しみの1つになっている。
(編集A)
立山Craftで制作体験



ラジオで聞いた話
通勤時に聞いていたNHKのラジオで、源頼朝の死因が分からないという話題が出ていました。
建久10年(1199)に亡くなったことは複数の歴史書から確実なのですが、鎌倉時代研究の基本である『吾妻鏡』には、葬儀を含む頼朝死去に関する記述が全くなく、死後13年経った建暦2年(1212)の記事で「落馬してほどなく亡くなった」と簡単に触れられているだけ。『吾妻鏡』以外では、溺死・病死・亡霊のたたりなど、さまざまに書かれているようです。
実は、頼朝の死は妻・北条政子による暗殺で、後年頼朝を尊敬していた徳川家康が、「偉大な武将に不名誉があってはいけない」として、その事実を隠すために『吾妻鏡』の記録を削除させたという説があるそうです。それほど信憑性が高いものではないようですが、今の日本を見ても権力者は好き放題やっている有様ですから、さもありなんと思いました。
頼朝としては、「800年も前に死んでいるんだから放っておいてくれ」と言いたいところでしょうが、歴史を記録する仕事の末端にいる者としてはいろいろと考えさせられる話でした。
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