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メール

先週、1日あたりのメールの受信数が40通を超えた。
通常、原稿・組版データ・修正指示・修正済データなどが着信するが、日に30通を超えると混乱することがある。
ある仕事で受信したメールの引用をたどっていくと「校正紙を送られたというメールが見当たりません。1日に500通ほどのメールを受信していますので、まぎれているのかもしれません。すみませんが、再度お送りください」とあった。
30通で混乱する私には、500通を処理する人が神に思える。

編集T
| 2014.05.09 | | comment(0) | trackback(0) |

超過酷なアドベンチャー出張

1992年から2008年くらいまで、およそ17年間に、北海道・小樽から九州・鹿児島までの学校記念誌を100冊余り制作しました。

クライアントは当時学校の同窓会名簿を中心に営業していた大手印刷会社でした。

当時その大手印刷会社は全国に営業所が10カ所、営業の人数約20名で、その20名の営業マン達と同行して、プレゼン(企画)の説明から受注後の進行管理まで一人でディレクションしていましたので、ほとんどの営業マンと仲良くなりました。

JRや飛行機で現地の駅もしくは空港で営業マンと待ち合わせて営業車で1~2泊の工程で、売り込みも含めて4~5校を回るのが普通の工程でした。その宿泊地では営業マンと居酒屋で地元の食材と酒を酌み交わして情報交換を含めた懇親会になります。こんな出張が一月に2~3回ありました。

この頃、同行していた営業マンからは「学校で1時間ほどしゃべって、後は電車に乗ってビール飲んでタバコを吸っているだけの出張で給料をもらってうらやましい」などと言われていました。

しかし時にはとてつもない想像を絶するような日程を組んでくる営業マンもおり、絶対に忘れられない最高(最悪)最長移動の出張もありました。

1日目 2100金沢発夜行バス。仙台に向かう(約600㎞)

2日目 6:00仙台着

    6:30仙台で営業マンと合流。青森に向かう(約400㎞)

    1230青森着。青森と弘前で2校と打ち合わせ

    1500弘前発。仙台に向かう(約400㎞)

    2030仙台着

(翌日朝8時から別件の打ち合わせのため、7:30までに大阪着の必要あり。新幹線では間に合わないため)

    2130仙台発夜行バスで大阪へ向かう(約900㎞)

3日目 6:30大阪着

この後、大阪で2~3件打ち合わせて2100くらいに富山へ帰る(約400㎞)。

3日間合計移動距離:2,700㎞(内バスと営業車で2,300㎞)

こんなに苛酷な出張もありました。

最近では不景気の影響のあり卒業生から寄付金が集まらず、学校の記念誌もなかなか発行できない時代になっています。

全国出張していた時代が懐かしいものです。


編集TK

| 2014.04.25 | | comment(0) | trackback(0) |

週末は花見へ

2月はあっという間に逃げ、3月もすぐに去ってしまいました。4月ももう半ば。地に足をつけて一歩ずつ歩みを進めて行きたいものです。

富山では、先週末が桜の見頃のピークでした。日中、日暮れ時、夜桜など、時間帯を変えいくつかのスポットに出かけました。今年6月公開の映画「春を背負って」に登場するという景色(1枚目)が、今シーズンいちばん印象に残った桜でした。

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下新川郡朝日町の舟川橋より

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富山市松川のライトアップ夜桜

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富山市宮尾「内山邸」正面

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富山市宮尾「内山邸」中庭のしだれ桜


編集F

| 2014.04.16 | | comment(0) | trackback(0) |

富一サッカー部の全国制覇が、 人生を振り返る機会に

富山第一高校サッカー部の全国制覇という明るいニュースで明けた2014年。

かつては私も、全国大会出場、冬の国立に立つことを夢見るサッカー少年の一人でした。今では、昔の面影はどこへ行ってしまったのか、筋肉は贅肉に変わり果て、サッカーは観るものとなり、休日になれば、クラブチームでサッカーをやっている二人の息子の送迎や見学が日課のようなもの。

今大会の富山第一の快進撃は、息子たちと1回戦からテレビ観戦し、応援してきました。決勝戦後半アディショナルタイムのPKの場面では、テレビの前で監督と同じ格好で祈っていました。優勝が決まった瞬間、感動とともに脳裏に浮かんできたのが、高校3年の夏の大会のこと。最後の夏、負ければ引退という大会は苦戦しながらも勝利を重ね、準決勝に進出しました。そこで対戦したのが富山第一、相手チームの選手の中にいたのが大塚監督です。結果は0-7で完敗、完膚なきまでに叩きのめされました。他の試合のことは覚えていませんが、この試合だけは、覚えています。

富一優勝に沸いたその夜、実家に立ち寄った私は、昔の写真を探しました。探してみると、意外に残っているもので、写真を息子たちに見せながら、サッカー少年だった頃の話を聞かせました。富山第一の全国制覇がなかったら、高校時代や中学校時代のことなど、おそらく記憶をたどることすらしなかっただろうと思います。かつてサッカー少年だった方なら、私と同じようなことをされた方がいらっしゃるかもしれません。

 ***

編集者をしている私は、自分史や自伝を書き残すお手伝いをさせていただくことがあります。自分史や自伝を書き残すのはなんのためか。「自身の半生を振り返るため」「自分自身や祖父母のことを子や孫に伝えるため」「自分自身のことや子・孫の幼年時代を彼らに伝えるため」など、理由は人それぞれですが、必ず「書き残そう」と思うきっかけがあります。原稿を書くときに必要となるのが、ご自身の年表、そして写真などは詳しい記録をつくる貴重な資料となります。

今回見つけた写真は、大事に保管しておこうと思います。
20年後、30年後に、自分史を残したいと思ったときのために。


編集A
| 2014.01.31 | | comment(0) | trackback(0) |

古き良き時代の編集者の役得

1 『豪華客船で2泊4日の豪華取材』

ある会社の30年史を編纂していた1995年のことです。その会社の30周年記念行事のひとつとして豪華客船をチャーターしてその中で式典を開催しました。日本海側には豪華客船は初めての寄港ということで、地元の中学校や商工会・警察吹奏楽団などの歓迎式典も盛大に行われ、新聞やテレビの取材、一般の見学者も大勢つめかけ、翌日にはマスコミにも大きく取り上げられました。
年史に掲載するということで、私とライター・カメラマンに1室確保していただき、取材・撮影することになりました。船内ではメインの30周年記念式典のほか豪華な食事や・映画・プールなどを満喫しました。生まれて初めて豪華客船での1泊2日の旅を2回(2班に分けたため)も経験させてもらいました。


2 『元ヤンキース・松井秀喜選手の取材』

2013年に元巨人軍監督・長嶋茂雄氏と同時に国民栄誉賞受賞を受賞した松井秀喜選手の取材をしたのは、金沢の学校の記念誌を編集していた2002年のことです。
当時、巨人軍の4番として活躍していた松井選手の取材の企画が通り、シーズンオフの2月、東京の巨人軍の室内練習場で取材になりました。
松井選手とは予定の30分を大幅に超えて約1時間話しました。
松井選手にはすごいオーラを感じましたが、話し方や物腰は非常に柔らかく、テレビで見るのと同じで「まじめで優しき好青年」という印象を持ちそれ以来私も大ファンになりました。
2009年ヤンキースでワールドチャンピオンになり最優秀選手になった時には私も興奮しました。
ちなみに取材前には清原選手や元木選手にも会えることができましたが、松井選手とは印象が全く違いました。


3 『現レッドソックス・上原浩治選手の取材』

2013年にレッドソックスでワールドチャンピオンになった上原選手の取材をしたのは、大阪の学校の記念誌を編集していた2001年のことです。
当時、巨人軍の若きエース(入団3年目)として活躍していた上原選手の取材は巨人軍がキャンプをしていた宮崎・青島で行いました。
無名の高校時代、大学入試に失敗しての浪人時代、野球の名門ではなかった大学時代の思い出、を大阪の人らしく面白おかしく話してくださる姿に、まだまだ初々しさが残る好青年という印象を受けました。
当時は、目の前の上原選手がワールドチャンピオンになるとは夢にも思っていませんでした。

※私が取材をする野球選手は、十数年後にはワールドチャンピオンになるというジンクスがあります(私が勝手に作りました)。


編集TK
| 2014.01.10 | | comment(0) | trackback(0) |
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