紙の本
今月半ばに引っ越しをしました。
初めは婦中町あたりで物件を探していたのですが、ひょんなことから西富山駅(JR高山本線)の近くに住むことになりました。緑豊かな呉羽丘陵の風と光に一目惚れしたのが、心変わりの理由の半分くらいを占めています。
新居の近所から望める光景
仕事柄と申しますか趣味のせいと言いますか、それなりの数の本と暮らしているため、引越しの際には当然彼らにも一緒に移動してもらわなければなりません。
段ボール箱や法事で頂く布地の袋、比較的丈夫そうな紙袋などを総動員して運ぶのですが、その重いこと、重いこと。
運搬に気を使う本棚も同時に移動させるため、夏の暑さも相まって、ワゴン車で2、3度往復しただけでグッタリになってしまいます。引越しに伴う雑務をこなしながらということもあり、せっかくの3連休もあっという間に過ぎてしまいました。次の週末も気合を入れた割に、期待したほどは運べませんでした。
書庫スペース。本棚と本は、まだしばらくは週末ごとに数を増していく予定です
ところで、長らく「紙の本派」を堅持していた私も必要に迫られ、昨年暮れにとうとう電子書籍リーダーを購入し、たま~にですけど、それを利用するようになっています。
紙の重量にここまで苦しめられると、「やっぱりこれからは置き場所や引越しに苦労せずに済む電子版が書籍の主流になってゆくのだろう」と認めずにはいられませんでした。
が、段ボール箱や袋から取り出して積み上げた本が目に入った時点で、ふと思うことがありました。
それらの中には、明治生まれの祖父や戦中育ちの父の蔵書がいくらか含まれているのですが、電子の本だと、血のつながりと共に伝えられるこうした書籍の系譜というべき現象が、おそらくは生じないのでしょう。
そう考えると、良い本はなるべく紙の形で手元に置いておきたいですし、良い事柄はできるだけ紙の本として残すことを周囲の方々にも勧めていかねばならないなぁ。そんな感を抱いた引越しの日の夕暮れでした。
編集S